【自立したくて高校中退】チャレンジャーの厨房パートは仕事量が多すぎる?【口コミ・評判・経験】

パートをしなければならなかった理由は「高校中退」だったからです

カウボーイというスーパーが以前チャレンジャーという店名だった頃、厨房で調理のパートに行きました。

 

 

私の場合、高校を辞めてすぐに務めた場所なのでよく覚えています。バイキング形式の食堂があって、そこの調理場に入っていました。

 

 

うちは特殊な家庭で、両親を見たことも一緒に暮らしたこともありません。一緒にいてくれたのは祖母だけでしたが、もちろん最初は「高校に行ってからでも遅くはない」と反対されました。

 

 

それでも早く自立したかった私は、祖母の反対を押し切って働くことに決めたのです

 

やるべきことは曜日によって分かれていました

平日は仕込み作業です。お風呂の浴槽よりも深くて大きな鍋を使って、酢豚用の豚をいっぱい揚げました

 

 

ジャガイモの皮むきも何箱分もあって、包丁を持っている手が痛くて辛かったです。ほかの仕事を見つけると逃げていました。

 

 

私が働きはじめた頃の時給は700円スタートで、なかなか750円まで上がらず、悩んだのを覚えています。

 

 

そのおかげでお金をもらうことの大変さを実感できたので、今となればいい経験だったと思っています。

 

学校へ行くことよりも働くことを選んだ私

子どもの頃から「高校くらいは行きなさい」と言われていました。でも私は家で料理をしていたので、料理に関係する仕事なら出来ると思っていたのです。

 

 

しかし実際はそうそう上手くはいきません。若いうちから働きに出た分、学校で教わることを学んでいないので、今でも地図や計算の問題でつまづいてしまいます

 

 

また15歳から働きに出て、同級の友人と早くに離れてしまったことで、同級会や同窓会などにも呼ばれませんでした

 

 

代わりに、会社の人たちはいろいろと会話に入れてくれて、優しく仕事を教えてくれます。

 

 

いろいろと酷いことも言われましたが、いつでもお姉さんやお母さんのような人たちがそばにいてくれて、安心でした

 

高校中退だというだけで、色のついた眼鏡で見られることもありました

「不良だからやめたんじゃないか」「不良だから付き合わないほうがいい」など、いろいろなことを言われました。

 

 

それでも、まずは車の免許が取れる18歳までは頑張ろうと思っていました。

 

 

当時の通勤方法は自転車か徒歩で、この頃は自転車での通勤です。自宅からは自転車で5分とかからない距離だったので、苦ではありません

 

 

冬場は徒歩で通っていましたが、冬の足元が悪い時でも10分あれば会社に着きました

 

 

そうしてカウボーイ(現チャレンジャー)で働きながら、いよいよ18歳を迎えた私。

 

 

部署が分かれているので、途中でレジをしたくなって厨房の仕事からレジの仕事に変わりましたが、この時が一番楽しかったと思います。

 

働くばかりでなく、働くためのやる気を出すために一生懸命に遊びました

仕事内容はもちろん、一緒に働くメンバーにも恵まれたと思います。仲間ができて一緒にボーリングに行ったり、カラオケに行ったりして、大勢で騒いで遊ぶようになりました。

 

 

今のように携帯電話も普及していませんでしたが、電話料金のことで親戚から文句を言われたくなくて、自分で働いたお金でアナログ式の携帯電話を買ったのもこの時期です。

 

 

最後になりますが…。

 

 

何から何まで、自分で働いて買ったという自信を持てたのが良かったです。働いて自分の欲しいものを手にして、自由が増えたことで、働くことが楽しく感じられるようになりました

 

 

また厨房の仕事をしていた頃は、家でも料理に対して「これくらいパッパッと済ませてしまえ」と思えましたし、結構まめに家でも料理をしていたと記憶しています。

 

 

仕事で寿司ネタを切っていたので、刺身包丁を使い始めたのもこのときですね。この頃から刺身を切っていない状態で買ってきて、自分で切ったりして家でも練習していました。

 

 

厨房の仕事では量も多いですが、その分いろんな人の工夫があります。そういうことを学ぶという意味でも、ここで働けた時間は良い時間だったと思っています。